第74回研究会(2023.2.17)
今回も来年度に向けた方向性について話合いを行いました。
方向性を話し合う中で、課題として挙げられたのは、それぞれの教員にある「なりたい自分」が経験年数や学校内での立場によって異なるため、研究会として共通となるテーマを設定することが難しいことです。
しかし、我が研究会で培った「芽線」という見方で子どもを見とっていくことで、経験年数や課題意識に関係なく共通の土台で語り合うことができるのではないかという結論に達しました。
ただし、ここにもまだ課題が見えてきました。「芽線」で子どもを見とった経験のない教員からは、「子どもの能力部分に焦点を当てることはできそうだが、人格、性格の部分をどう見とればよいのか」や、「ベテラン教員が実際にやっている見とり方や声かけを、もっと具体的に知りたい」といったことが出されました。
次回はこの点について、来年度の展望をより具体的にした研究会になります。
「原点回帰」 〜もう一度「芽線」へ〜
今回の研究会で私が感じたことは、ずばり「原点回帰」です。
これまで自分は、何をおもしろがってやってきたのか。子どものどんな姿を見てきたのか。
そんな当たり前のことを忘れていたように感じました。
「何だかよくわからないけど、今、楽しい」
無我夢中にも近いような感覚が、蘇ってきました。
「明日、子どもたちと何を楽しんでやろうか」
今はそんな気持ちではなく、「明日、何をさせなければならないのか」
あれをやって、次にこれ、その次は…。と、そんなことばかりに目を向けていたと反省した会となりました。
目の前の子どもたちに、その子のよさを伝えていたつもりになっていましたが、果たしてその子のささいな変化や成長を捉えていたのか、自信をもってうなずくことはできないなと思いました。
「忙しい」を理由にすれば、全てから逃げることはできます。正直、私自身、逃げていたんだと断言できます。しかし、何が忙しかったのかと聞かれても、答えることはできません。何となく忙しかっただけなのですから。
「何となく」やってきた自分を振り返っても、「何もない」自分に気づくだけです。
「実のない」ことを「忙しさ」を盾に逃げ延びてきた自分がそこにいただけです。
残り1ヶ月で気づけてよかったと思えた会でした。
後悔だけが残る前に、おもしろがる、挑戦する自分に、もう一度シフトチェンジです。
子どもをおもしろがって、おもしろさを伝えてみる。それが伝わって、その子が自分の人生にちょっとだけ自信をもって、希望をもって生きていけたらいいな、と思います。
集団の中で個を見とり、子に伝える。それができるのが、私たち教員のおもしろさなのではないでしょうか。
文責 石垣孝太
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