第69回研究会(2022.10.28)

 今回は村田先生からの提案で、東京大学の佐伯胖先生の講演『「学びとアート」の関係を問い直す』の資料を基に話し合いました。 
 この講演では「学びとはなにか?」「勉強と学びの違い」「学校と教育」という視点で、佐伯先生が指摘、提案しています。その講演内容を受けて、以下の感想や意見が出されました。


・「教育とは教えるという技術になってしまった」という指摘はその通りだと感じた。大勢いる児童の全員が「分かる」「できる」ようになるために、教えるという技術を先生方は日々磨いているのではないか。

・今の先生方はこれまで「自分が受けてきた教育」しか知らない。それなのに「これからはもっと違う教育をしなさい」「子供が主体となって学び合う教育をしなさい」と言われ、これまでの教育を否定されている気さえもする。これから求められている教育については先生も一から学び直さないと分からないのでは?と感じる。

・「今の教育で『良い』とされる教師と生徒の関係は、教師は教えの意図を隠し従わせ、生徒はその意図を知らないふりをして従うことだ」という指摘があるが、教師としてはそれが良いと思って授業をしている。しかし、子供の全員が「知らないふり」「学んでいるふり」をしているわけではないと信じたい。

・近代という時代背景も踏まえて考えると、産業革命が起こり大量にものを作れるような人材を社会は求めてきたのではないか。だからこそ、教師が教え、生徒ができるようになる、という教育がなされてきたのだと思う。

・「子供が主体的に対話をしながら疑問に思ったことを探究すること」ばかりに焦点が当てられ、「知識を詰め込むこと」は良くないことだという風潮がある。双方のバランスが大事なのではないか。また、どんな子供を育てていくことがベストなのか、社会が何を求めているのかはっきりとしない。

・教師という職で子供に関わる以上、子供に対して何かしらの「保障」をしてやりたいと思っているのではないか。「絵がうまい子」「芸術的に優れていると思う子」に対して、本当に将来を保障して声をかけられるか。教師としての器が小さいと思ってしまうが、教師である以上誰もがそう感じたことがあるのではないか?

・義務教育である小学校において、子供の学びのベースとなる知識を詰め込むことは必要なことなのでは?何も知識も与えていない状態で好きなように学ぶことはできないと思う。


 「勉強と学びの違いは何か?」については以下のような意見がありました。

・勉強の上に学びがあるイメージ。知りたい、やってみたいと思うためには、何か知識がないと思わないのでは?勉強の段階では一部は詰め込む形になることもあるが、それがあって初めて自分の学びへと飛躍できるのだと思う。

・勉強が教科書、好きな本を読むのが学び。勉強で文字を知り、文字を知ったことで本を読んで学ぶことができるイメージ。勉強をしていないと自由な学びができないのでは?

・学びが先にくることもあるのでは?たまたま手に取った本に興味をもち、そこから詳しく勉強していくイメージ。学びと勉強は行きつ戻りつの関係かもしれない。


 
 ここからはみなさんの議論を聞いての私のまとめになります。
 これからの社会に求められる力は、近代以降のいわゆる「詰め込むだけの教育」だけでは育むことができないのかもしれないと感じました。しかし、話合いを通して、子供に勉強をさせること、知識を詰め込むことが必ずしも悪ではない。むしろ教育者として、子供に何かの保障を与えるため、学んでいくためのベースとして、勉強は必要だと再認識しました。
 現在の子供たちの環境は、1830年代と大きく異なります。私が小学生だった時ともまた変わってきているなと感じています。YouTube、SNSで情報が得られることが当たり前で、生活リズムや興味の幅も大きく違うのではないかと思います。そんな中で話合いで出てきた「勉強」と「学び」の行き来が学校でどれほどされているのかを疑問に思いました。子供たちが探究していきたいと思うことはむしろ学校外にあるのではないか?調べることですぐに情報が手に入れることができ、文字が読めなくても動画でも知ることができる中で、学びはすぐに完結してしまうのでは?今の環境の子供たちは学ぶことにどれほど喜びを感じているのだろう?クラスの児童と関わる中でそう感じたことを思い出しました。 
 では、その環境の中で、子供に「退屈だ」「つまらない」と思われない授業とはどうしたらできるのか、学びにつながる授業とはどのような授業なのだろう、教師であるからにはその変化にも対応していかなければならないと感じました。
 最後に、「勉強と学び」について考えることは、社会にこれから求められる力や子供たちが将来どうなっていくのかを考えることにつながりました。そのような中で、教育現場にいる自分は、「今の子供たち」ばかりに目が向いていることに気が付きました。「こうなってほしい」と願いを押し付けるわけではありません。ですが、これからの社会を明るく生きていくことがてきる、「保障」とまではいかなくとも、せめてその片鱗となるような力を、少しでも考えながら子供たちと関わっていきたいと思いました。 
                                              大島  一也

実ある教育を語る会

富山県小学校教諭の有志による実践研究会です。日々の実践を基に研究を深めます。 〜真贋を見極める目を!真実を追い求める目を!未来を作る芽を見つける目を!〜 第3章スタート! 引用参考 http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/colored/info/kyoto.htm