第57回 研究会(2022.2.25)
今回も新型コロナウイルス感染防止のためZOOMにて研究会を行いました。
今回のテーマは、「よい先生とは?」でした。この題目には、漠然とした部分がありますが、自分の理想とする教師像を様々な年齢層の会員が経験を交え話し合う中で、ベテラン、若手共に、改めて「自分は教師として、どんな人間として、子供たちと関わっていきたいか」。そんなことを考えるきっかけになったように思います。
以下は先生方から挙げられた「よい先生」についてです。
(石垣)遊びのある先生。
(大島)どんなタイプの子供にも対応できる先生。
自分ごととして子供のことを考えられる先生。
(宮腰)心に余裕のある先生。
子供のことを理解してあげられる先生。
(井上)いろいろな子供や状況に応じて自分を子供に合わせられる先生。
(松井)いろんなネタをもっている先生。
(村田)子供から学べる先生。
子供に合わせて自分を変えていける先生。
(氷見)父性・母性・子供らしさをもち合わせ、そのバランスを臨機応変に変えられる先生。
これらの教師像を基に、各会員が気になった点について意見を交流しました。
その中で、「その先生らしさ」についての話に焦点が絞られていきました。今回は、「その先生らしさ」が「色気」という言葉で表現され、目に見えない教師の雰囲気や言葉かけ、余裕のある様子等が取り上げられました。
以下は私の主観も交えての意見となります。
私自身、その目に見えない「その先生らしい色気」というものがとても好きで、「あの先生の学級の雰囲気っていいな」「やっぱり〇〇先生がもつクラスってその先生の色が子供たちにも伝わるな」と感じることが多くあります。その先生の価値観や思いが視覚では捉えられない「色」となって、子供たちに影響を与えるのだと思います。もちろんそれらは、良くも悪くもなのです。
「教師の色に染まる」という考え方に対して、否定的な方も多くいると思います。しかし、教師がもつ「色」が虹のように色鮮やかで多様なものであればどうでしょうか。教師のもつ「色」が多様であればあるほど、学級は美しい場所になり、子供たちは自他ともに各々の「色」を大切にできるようになると思います。ここでいう「色」とは、教師の対応力や児童理解、授業や話のネタ、父性や母性、子供らしい遊び心。そして、それらをもち合わせるだけの心の余裕から生まれると考えます。
だからこそ、私たち教師は、視野を広げ、常に新たな価値観や考え方を大切にし、自分自身のキャパシティをビニールの袋のように柔軟に広げていくことが大切なのだと思います。それこそが、教師として自己研鑽を積むということなのではないでじょうか。
最後に、本研究会のベテランメンバーの「よい先生像」で、自分がすてきだなと思った言葉を紹介します。それは、
「どんどん経験を重ねると、いつからか、6年生の国語科の教科書に出てくる『海の命』の『与吉じいさ』のような気持になる」というものでした。与吉じいさは、主人公に「もう魚を海に自然に遊ばせてやりたくなっとる」と言っています。私たち教師は、子供を「こう育てたい」「こう指導したい」という思いが強くなりがちですが、ベテランになればなるほど、型にはめるのではなく、懐深く、広大な海のように子供たちを包み込んでいるのだと感じました。しかし、私のように若手の教師は、まだまだ、「与吉じいさ」にはなれません。だからこそ、多くの先生方の学級経営の仕方や指導法、子供への眼差しを参考にしながら自分に合うものを取り入れていくことが大切なのだと感じました。そして、与吉じいさは、こんなことも言っています。
「千びきにーぴきでいいんだ。千びきいるうちーぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」
そう話した「与吉じいさ」のように、教師である限り、私たちも1000の実践を積み、その内、1つでも自分に合うものを見付けて自分の学級経営に生かしていけるよう、これからも学んでいきたいと思います。
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