雑感 氷見卓也 (2022.2.19)

   私の祖母は、若い頃あまり勉強が好きではなかったらしい。机に向かうよりも、卓球、スキーなど、身体を動かすことを好んだと本人から聞いた記憶がある。
   第二次世界大戦末期、防空壕に逃げ遅れた祖母は、「もう逃げるのが面倒だ。好きにしてくれ」と家屋の居間に大の字に寝転んでいたそうである。命を粗末にするべきではないが、そんな豪快な、おもしろい人だった。
   終戦後、小学校教員であった祖父と結婚した祖母は、とにかく結婚するのが嫌だったと語っていた。祖父は昔ながらのガンコ親父といった印象であり、悪い人ではないが亭主関白であり、祖母に顎で命令していた。祖母は、たまに嫌みも吐いたが、祖父が亡くなるまでしっかりと妻としての役割を果たした。本当に立派だったと思う。
   そんな祖母は晩年、歴史書や自然(特に草花の生態)等を中心に、とにかくいろいろな本を読んでいた。幼い私が、「なぜ、ばあちゃんはそんなに本ばかり読んで勉強するの?」とたずねたことがある。すると祖母は、「若い頃、勉強せんだから、今になって勉強したくなったんよ」と答えた。晩年の祖母は、本当に歴史や植物に詳しかった。大学を出ているわけではないし、家人として生きた時間が主な女性だったわけだが、それは本当に評価に値する学習ぶりだった。そんな祖母を小学校校長を務め上げた祖父は、何かにつけ「そんなことも知らんのか」と馬鹿にした。祖母はそんなときは決まって「はいはい。どうせ私は馬鹿ですよ。ほっといてください」と答えていた。
   確かに祖父はひとつの仕事を退職までやり切った立派な人だったし、いろいろなことを知る知識人だったと思うし、尊敬もしている。
   しかし、私は知っていた。晩年の知識の豊富さ、視野の広さ、追究するエネルギー等、どれをとっても、最後は祖母がゆうに勝っていたことを。
   そんなおもしろい祖母も、祖父が亡くなると、後を追うように亡くなってしまった。今はあの世で「お父さん、そんなことも知らないんですか?」「うるさい!」と逆転して祖母が祖父を言い負かしていたらおもしろいな、なんて考える。
   最後まで知的欲求を失わず、脳みそがしわくちゃになるまで使い切る、私も、そんな晩年を迎えたいものだ。
   

実ある教育を語る会

富山県小学校教諭の有志による実践研究会です。日々の実践を基に研究を深めます。 〜真贋を見極める目を!真実を追い求める目を!未来を作る芽を見つける目を!〜 第3章スタート! 引用参考 http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/colored/info/kyoto.htm