雑感 氷見卓也 (2021.11.23)
「不安のない生活・人生を歩みたい」
誰しもそんなこと思いますよね。それが日々の笑顔に繋がるだろうし、心も軽いでしょうしね。私も思います。一時の誰かからの賞賛に気分が上がり、刹那に不安が無くなることもありますが、そんなものはほぼ未来への切符にはなりません。すぐ、次の不安がやってきます。
では、「不安とは、どこからくるのだろう」と考えたとき、やっぱりほとんどの場合、未来想像が関係してきますよね。「こうなるんじゃないか」「失敗するのではないか」「彼女に嫌われ、ふられるんじゃないか」とか、いろいろ思いますよね。特に何かを選択するとき、何故か即決できる人種もいますが、大概様々な可能性を並べて決めるに至ると思います。そう、私たちはあるかもしれない、ないかもしれない、という現在地における未来想像に悩み、不安を抱きます。
この未来想像による不安は、歳を重ねるごとに大らかに捉えられる、経験則により心広く受け止められるようになる、みたいに私自身、思っていました。また、後輩はそれを先輩に期待し、私のような45歳にもなった者は、なんの不安もなく安定したメンタルを有していると思われがちです。
ところが、いくつになっても、不安は消えないのです。明日失敗するかもしれないし、極端に言えば明日死ぬかもしれませんしね。今現在に完全に没頭し、未来を意識せず活動するのは、案外難しいことだと私は思います。
例えば、小説を読むとき、主人公がひどいことになるのでは、幸せになってくれるだろうかとか、やはり未来を描いて読み進めますよね。音楽を歌詞を追って聴き、そして聴き終わったとき、登場人物のその後を想像する、なんてこともありますよね。
また、ドラマの第1話や映画の冒頭から、結末の未来が容易に描けたら、つまらない、裏切ってくれ、と思ったりしませんか?
しかし、いざ、自身の人生となると、未来に裏切られると困るんですよね。自分事になると、身勝手なものですよね。ましてや、我が子のこととなると、より未来を意識し、不安が募りますよね。どうやら、不安を抱くなという方が難しそうです。
きっとこの不安は何かしら一生つきまとい、消えないのでしょう。ですから、逆手にとって、その不安を生活・人生のスパイスにして歩むしかないのかもしれません。簡単ではありませんが。南無三!とダイナミックに飛び込み、成功を掴む人もいるかもしれませんが、私は悩み、未来を想像して不安になりながら、足ブルブルさせながら、引きつりながら、選択して歩いていこうと思います。ちなみに、不安の反対語を調べると、やはり「安心」なんですね。ちなみに、(あんじん)とも呼ぶそうです。仏教用語らしく、「迷いがなくなった安らぎの境地」という意味だそうです。
私は、まだ安らぐには早そうです。まだまだ迷い、不安を抱えて、前へ少しずつ進めていこうと思います。そして、迷い、不安になりながら、いつまでも何者でもない自分でいられたら、ずっとプレイヤーでいられたら、それもまたよしなのかもしれません。
みなさんは、今、どれくらい不安ですか?そして、不安とどう向き合っていますか?
支離滅裂になりました。戯言、ご容赦を🙇
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