第53回研究会(2021.11.17)
今回は国内外を問わず、今日的な課題として取り上げられているSDGsをテーマとし、その中でも「5 ジェンダー平等を実現しよう」に主眼を置き、話合いをすることにしました。
メンバー各々が自分の子供時代や子供たちへの指導を振り返った時に、学校生活の中にある旧態依然とした慣例に社会的な性差がつくり出されている場面があるのではないかという話になりました。例えば、集会時や特別教室の移動の際に男女別に整列することや名列表や出席番号を男女で分けること等です。そのような経験を幼い頃から刷り込まれることにより、社会的な性差意識をもつに至っているのではないかという意見もありました。
では、担任となった学級にLGBTの子供が在籍していた場合に、教員としてどのようなことができるのかを、これからの時代への対応という観点から考えました。
<氷見先生>
自分たちの立ち位置から考えるキーワードは「責任」ではないか。教師はその子の人生に最後まで責任を持つことはできない。その子に対する責任としてどういうスタンスであるべきかを考え、well beingという観点からどう言葉がけをしていくかを研究していく必要がある。
<村田先生>
7.6%の人がLGBTと言われている。そのような人たちはこれまでもいたはずだが、表には出てこなかっただけであり、今まで気が付かなかっただけではないか。LGBTが世に認知されていくための過渡期にあるのではないか。
「誰が好き」、「どうありたい」も個性であり、担任としての「責任」はその子を信じて分かってあげることであり、子供が教師に打ち明け、自分の知るところとなれば「言ってくれてありがとう、じゃあ先生に何ができる?」とどんな状態であろうが、ありのままを受け入れるいうことが大事。
<宮腰先生>
自分がその子の担任になったら外堀を埋めていく。心配なのはその子の周りの環境であり、授業の中で、そういう子もいるんだよという理解をつくっていくなど、その子が生きやすい、過ごしやすい環境をつくっていく。
<亀ヶ谷先生>
周りが支えになる。一緒に過ごしている子供も一緒に中学に進級する。少しでも受け入れることができるクラスにしていくことが担任としてできること。高校では、ジェンダーに配慮した制服を導入している学校もある。そのような選択肢を示していくことも一つ。
<井上先生>
LGBTの子供が過ごしやすい環境にすることを考えると、それは他の子供たちにも過ごしやすい教室ということにも繋がる。行き着くところは特別支援、問題行動がある子供に対しても生きやすい環境をつくっていくことだと思う。
LGBTの子供に寄り添っていく上で圧倒的に足りないのは専門性。担任として子供との信頼関係の中で外部との繋がりを考え、本人との思い等をどう繋げていくかを考えていかねばならない。
答えのないことですが、本人が生きづらい環境・雰囲気になり、追い込むことは決してあってはならないことであり、そのためにも誰もが過ごしやすい環境が大切であるということを改めて認識した会となりました。
ここからは私の参加した感想です。普段、私は教室で「普通」という言葉をできるだけ使わないようにしています。「普通」という言葉を使う人がいたとするならば、それはその人にとっての「普通」であって、万人の「普通」ではないし、他者に押し付けるものでもないと思うからです。しかし、今回の話題のように、学校生活での何気ない行動の中にも、社会的な課題が内在されているという視点で子供たちへの指導を振り返ったときに、自分にとっての「普通」を無意識に子供たちに押し付けてしまっているところがあるのではないかと反省しました。
自分自身が一人一人の個性を理解し、認められる人間になるとともに、日々の学級づくりでも、そういった子供たちを育てていけるように励んでいきたいと思います。
松井 健悟
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