第52回研究会(2021.10.29)
新型コロナウイルスの感染状況が落ち着いているため、今回は、久しぶりに富山国際大学に集まって研究会を行いました。
今回は、前回のテーマである、「無気力・無関心な子供へのアプローチの方法」から、それぞれがより詳しく聞いてみたいと感じた内容について話し合いました。
まず、大島先生から「集団の中で意欲を下げるような発言をした子供」について日頃どのような対応をしているか、という質問がありました。
様々な意見が出ましたが、その中で、何人かの先生が言っておられたことに、学級全体の雰囲気を上げることがあります。クラス全体の空気がよい雰囲気に上がっていくことで、意欲が下がっている子供ものせられていくのではないか、とのことでした。
また、個人個人には、やりたくない、やる気にならない活動があるのは仕方のないことです。しかし、集団にいる周りの子供の気持ちを考えると、ネガティブなことは言わないようにしよう、と語ることを実践している先生もいました。
話合いの中で、現在担任している子供たちの話題も上がりました。無気力な子供や学校に行き渋る子供を担任している先生方の話を聞くことができました。小さなもやもやとした感情が溜まってしまい、学校に行くことが辛くなってしまった子供もいれば、朝起きることができず病気の診断を受けている子供等、様々な子供たちがいることが分かりました。
村田先生が前回の研究会でも言っておられましたが、よりよくなりたいと全ての子供達が思っているはずであり、初めから無気力だった子供はいないはずです。それが、色々な経験の中で、無気力な子供になってしまったことを受け止める必要があります。そして、一人一人の子供たちは何かを抱えている可能性があります。どのような思いで学校に来ているのかや、なぜやる気が出ないのかなどを踏まえ、色々な子供たちがいることを、まずは教師が受け止めることが大切です。中には、つらいこと、嫌なことを言語化できる子供ばかりではありません。様々な子供がいるということを考えて、教師自身の子供の見方を育てていかなくてはならないという意見もありました。
そこで、石垣先生から、何をもって無気力となるのか、という問いが出されました。学校では勉強に対してやる気がないように見えるのに、家庭ではゲームに熱中する子供は無気力と言えるのだろうか?勉強に対してやる気を出さない子供を、教師が勝手に無気力な子供と捉えているだけなのではないか?とのことでした。
それに対し、無気力の主体は子供であるのに、こちら側が無気力として決めつけているだけではないか、という意見がありました。また、教員の都合で、教員の思う型にはめようとしているだけだからこそ、無気力な子供に感じるのではないか、という意見も出ました。
そこから、教師としての役割についての話になりました。教師がなってほしい子供の姿と、社会として教えなければならない内容と、子供が世の中に出る上で必要なことが違っているように感じてしまう。だからこそ、教師の都合で子供を動かしてしまうのではないか、という葛藤が感じられる意見でした。
今日の話合いを踏まえ、最後に、氷見先生から、大きく分けて2つの話がありました。
1つは、不登校の子供達についてです。文科省が出している、不登校の子供の目標は、以前は「ゆるやかな学校生活への復帰」だったのに対し、現在は「将来的な社会的自立」に変わっているそうです。学校に来ることが全てではなく、来ることができなくても諦めなくて大丈夫、様々な道があるというキャリア教育が必要だと言われました。そして、子供の親がどのような考えを持っているのか、親と教師が話し合う必要があるとのことです。
もう1つは、教師の役割についてです。教師には様々な面があります。クラスのリーダーシップをとる時、教師の都合で子供を動かさなければならない時、ファシリテーターとして子供を支える時などなど。その中で、最近ではファシリテーターの役割が大きいのではないかとのことです。ただどのような時でも、扇の要になるのは教師であってほしいとのことでした。教師の都合で子供を動かすときでも、活動にクラス全員が全力で取り組めるよう話し合う場を設けてみたり、教師の都合に付き合ってくれることに感謝の気持ちを伝えたりします。そのような中で、日頃から子供達の中にこの先生のためなら、という思いが芽生えていれば、意欲が低い子供でも大抵の子供は活動に参加してくれるのではないかと言われました。そうすることで、空気を読む力を身につけたり集団としての力も高まったりしていくのだそうです。
氷見先生の話を聞いて、子供達と接するとき、遊び心をもって、楽しみながら活動していきたいという意見や、教師の弱味を子供達に見せることで心の距離が縮まっていくのではないか、という意見も出ました。
私の個人的な感想になりますが、規律やルールを守ることを学ぶためだけに集団があるのではなく、集団として高まっていくような集団体験ができるからこそ集団として生活する意義があり、そのような体験が子供達を成長させていくのだと感じました。
総括として辻井先生からは、遊び心をもつため、子供との時間を楽しむためには、先生も遊ばなくてはならない。教師自身が多くの経験を重ねることで、遊び心をもち、広い心で子供達を受け止められる。遊び心をもって子供たちと接していく中で、子供達に自分を開示することができ、子供との心の距離が縮まっていくのだそうです。ですが、時には厳しい指導も必要です。指導をするためには、1年間、自分の指導するポイントを貫き通すことが大切であるというお話をいただきました。
2回の研究会を通して、「無気力・無関心な子供へのアプローチ」について話し合ってきました。子供の思いや抱えていることを知るためには、日頃の子供との接し方が大切です。現在担任している子供達との時間は、残り5ヶ月となりました。今一度目の前の子供達をよく見て、子供達が楽しい!と感じられる瞬間が少しでも増えていくように頑張っていきたいと感じました。
亀ヶ谷 和可
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