第51回研究会(2021.10.13)

   今回は「無気力・無関心な子供にどうアプローチしていくか」というテーマで話し合いました。授業中の姿勢が崩れる、友達の意見に関心がないなどの気になる子供たちの様相の背景には何があるのか?コロナ禍の影響もやはり関係しているのか?という疑問がきっかけとなって、今回のテーマとして設定しました。
   会員の悩みや学級の実態、授業の中の手立て、学級で仕組んでいること等を中心に話を進めていきました。

<近藤先生>
・体を動かすことが好きな子供が多い。その一方で、算数の授業ですぐ「無理や」と言って取り組むのをやめる子供がいてどうしたらよいか悩んでいる。
・学級への所属感をもたせるために2つのことをしている。1つは、『矢印を提示してみんなで同じ方向を向こうと学級指導の際に話している』こと。良い方向の矢印、悪い方向の矢印の具体的な行動例を挙げて、子供たちに説明している。もう1つは、『帰りの会でよい行動を紹介する場を設けている』こと。学級のためにしていた行動を紹介したり、読書冊数を達成できた子を紹介しみんなで拍手したりと、学級の一員と感じられるようにという思いで取り入れている。

<大島先生>
・学校に来ることに対して、気力がない子がいる。学級内の人間関係を上手く結ぶことができなかったり、学習への意欲が低かったりと、学校にくる意味がないと感じている可能性がある。
・子供たちと担任、子供同士の関係づくりに力を入れている。子供たちと担任との関係づくりでは、子供たちが好む流行の話題等に自分が合わせ、雑談や遊びを一緒にすることを心がけている。

<荒木先生>
・休み時間のために教室に来ている子がいる。勉強で分からない問題があることで無気力に繋がってしまうように感じる。
・休み時間を大切にしている。特に、無気力な子や気になる子を誘い一緒に遊ぶようにしている。
・授業中の切り替えを大切にし、ふざける時は子供と一緒にとことんふざけるようにしている。頭ごなしに叱らず一度ふざけることで、その子たちが「先生に見てもらっている」と感じ、授業に参加してくれることがある。やるときはやる、ふざけるときはふざける、ことを学級の中でいつも話している。

<松井先生>
・学習に対して無気力な子だけでなく、休み時間にやることがなくてぼーっとしている子も気になる。
・失敗することが恥ずかしいと思っている子が多い。失敗を恐れて教師からの質問に答えなかったり、友達に無関心であったりするのではないか。
・子供同士を繋ぐために、健康観察で「好きなラーメンの味」「寿司のネタ」をプラスしてしゃべらせてみたこともある。

<石垣先生>
・コロナ禍で学校へ行かなくてもいい体験をしてしまったことも、無気力に関係しているのではないか。また、子供が「やりたくない」と言ったときにどう声かけするかが大切だと思う。担任が「じゃあやらんでもいいよ」というのは簡単で、そこからどう返して関わっていくかが大切なのではないか。
・教科書の内容を超えて子供に教えている。教科書通りにやるのではなく、自分たちだけがその授業を受けているという特別感が得られるようにしている。子供たちが「今日先生何してくれるんだろ」と授業を楽しみにしてくれるのではないか。何か面白いことができないかを、授業で考えるようになった。

<亀ヶ谷先生>
・子供からの発見があったときに授業が面白いと感じられることが去年の経験で分かった。自分で分かったという経験がやる気に繋がるのだと思う。最初は個の「分かった」「楽しい」だったが徐々に全体に広まっていくのではないか。
・コロナ禍でマスクをつけるようになり、感情が伝わりづらくなった。嬉しい気持ちや怒っている気持ちを目や言葉で意識的に伝え、子供に届くようにしている。

<井上先生>
・無気力な子の背景を知る必要がある。その子たちはこれまでに何か良好なものを築くことができなくて、その問題が起こっているように感じる。
・面白い授業とは何かで悩んできた。マジックをしたり漫才をしたりの面白さじゃなく、「どうやったら解けるんだろう」「もっとやってみたい」と思えるものだと気付いた。そのために授業の導入はしっかり考えるようになった。教材研究の大切さに気付いた。

<村田先生>
・不登校になる一番の理由が「勉強が分からないこと」が挙げられている。子供たちには「勉強が分かりたい」という思いが必ずある。その子たちの「勉強が分からない」を改善してあげる必要がある。
・子供たちがどんな思いで学校に来ているのか、理解しようと努力する。しかし、理解し切れないこと、その理解には限界があることも分かっている必要があるように感じる。
・勉強にはくり返しやらないと分からないことがある。楽しいことだけをやればいいわけではないことを子供たちに伝えていく必要もあると思う。

<宮腰先生>
・子供目線で無気力を考えたときに、「学校に楽しみがない」ことが原因なのではないか。今の子供たちには「給食中しゃべらない」「廊下を走らない」などいろんな制限がある。それをどれだけ自分事として、「もしその子が自分やったら…」と考えて関わっていけるかが大事なのではないか。
・面白い授業とは、お笑い芸人のサンドウィッチマンみたいな人だと思う。一発屋のような派手な大きな笑いを目指すのではなく、長く幅広く愛されるような授業、一発屋にならないような教師を目指している。

<氷見先生>
・無気力に本当になっている子と無気力のていでいる子がいるような気がする。無気力なていでいる子はなんとなく周りの雰囲気に飲まれていると思う。その子たちが流されて無気力になっていかないよう教師が流されず「自分は楽しむぞ」といった舵取りをする必要がある。
・子供が必ず明るく振る舞ったり、みんなと仲良くしたりしなければいけないことはないと感じている。無気力な子でも「ここよかったよ」と光る部分を見付けて伝えていくことはいくらでもできる。そう伝えていくことで、その子の心の中に花を咲かせていくと信じている。
・教科書を使わずに授業していたこともあったが、一周回って、やはり教科書はすごくよくできていると感じるようになった。単元の順番がよく考えられていて作られており、今何をおさえなければならないかを考えながら授業するようになった。
・若いころは手がいっぱい挙がる授業を目指していたが、今はみんなが一緒になって唸りながら考えている、一見すると静かでつまらなそうだが頭の中はアクティブラーニングになっているという姿をおもしろい授業として目指している。


以下は、今回参加しての自分の感想です。

 私は宮腰先生の「子供目線で無気力について考える」という言葉を聞いたときにハッとしました。それは、無気力な子=教師の求める姿になっていない子 にどこかで変換してしまっていたような気がしたからです。教師にとって都合の良い子、悪い子というのをどこかで線引きしていたのかもしれないと、自分を振り返りました。
 また、無気力な子のアプローチでは、「その子のことを少しでも知ろうと関わっていくこと」がどの先生の根底にもある気がしました。派手なものが必要なわけではなく、日々の授業や会話、基本的なことがいかに大切か、そしてそれを当たり前にやることの難しさを感じました。
 最後に、今回のテーマは「無気力な子について」でしたが、どんなテーマであっても、疑問をもつこと、あえて批判的にみることは今後必要があると思いました。今回の話合いでは「担任目線で見る」に自分自身が偏ってしまっていた気がしました。もしかすると、それ以外の「保護者目線」「担任と保護者以外の大人目線」で考えるケースもあったり、そもそも「無気力な子」は意外と困っておらず、担任側の「こうさせたい」という思いだけで動いているケースもあったりする可能性もあると思いました。
   今回の話合いを通し、疑問や批判的な見方をもつことの大切さも学ぶことができました。
                                  大島一也



実ある教育を語る会

富山県小学校教諭の有志による実践研究会です。日々の実践を基に研究を深めます。 〜真贋を見極める目を!真実を追い求める目を!未来を作る芽を見つける目を!〜 第3章スタート! 引用参考 http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/colored/info/kyoto.htm