第50回研究会(2021.09.24)
50回目の節目を迎えた9月24日(金)の研究会も、前回同様、zoom会議にて実施しました。富山県は9月27日(月)よりステージ2へと引き下げられ、これまで制限されてきた教育活動が、緩和し、その幅が広がっていきます。解除ではなく、あくまで緩和なので、気を抜くことはできませんが、その中で、「どんなことをしてやろうか」と日々楽しむことを忘れずに目の前の子供たちと過ごしていきたいものです。
さて、今回は、井上先生による話題提起「子供と教師がつながる 子供と子供の関係をつなぐ」について話し合いました。普段の子供とのつながり方や、子供と子供をつなぐゲーム等があれば、それを共有してすぐにでも実践できるのではないかとの問題意識から、この話題が提示されました。
以下、それぞれの先生から出された「つながり」について発表順に挙げていきます。
<亀ケ谷先生>
・登校をしぶる子との出会いから、子供が楽しくないのではないか、担任や他の子とつながれていないのではないかと考え、毎日自分が自分をほめる日記書く時間を取り、一人一人にコメントを返している。その際、なかなか書けない子がいることも予想されるため、例文を提示し、この日記を通して書く指導も行っている。
・毎朝児童玄関に立ち、子供にあいさつをしている。その際、「よく来たね」や「今日もがんばろうね」という一声を添えて子供にメッセージを送っている。
<石垣>
・見とった芽線を子供に伝えることによって、「〇〇屋」と呼び、その子の光る部分を伝えている。また、「〇〇屋」が学級にたくさん出てくることによって、子供同士が「〇〇屋」とつながっていくことができるようにしている。(補足:商店街・モール街を歩いているようなイメージです)
<氷見先生>
・毎日1人に1回は声をかけるようにしている。せっかく学校に来たのだから、少しでも担任とつながって帰したい。
・子供を無理につなげる必要はなく、必要なときに「それは〇〇さんに聞いた方がいいよ」と意図的につないだり、「この教室にいるよ」と伝え、子供に探させたりすることで子供同士がつながるようにしている。そのために、教師は子供とゆるやかにつながっていないといけない。
・友達と仲間は違うということを伝え、学級は仲間だからつながらなければならないときがあると、仲間としてつながり協力し合う意義を伝える。
・学級担任は、弁当箱の漬物でよい。メインは子供。そして卒業後、最後に教室に残るのも、あまり好んで食べられない赤い漬物。担任はその程度でいい。そんな学級でありたい。
<村田先生>
・「先生いなくなるからね」と子供にはよく伝えている。
・子供を見とって理解することはできない。だからこそ、見ようとし、理解しようとすることが大切になる。そこが、我々教師の仕事で大切な部分。
・子供同士や教師と子供のつながりを、その目的や必要性を常に考えてつなげないといけない。不必要なつながりは、教師がつなげたかっただけ、誰かに見せたかっただけで、本当のつながりではない。
<宮腰先生>
・ソーシャルスキルはしない。全校で取り組む場合は、もちろん取り組むが、あえて学級で取り組むことはない。(こちらが無理やりつなげる必要はない)
・人間関係をつなぐときにスキルが必要ないとは言わないが、スキルで上手につながっただけの学級の人間関係は、果たして本物だろうかと疑問に思う。
・教師と子供がつながることはもちろん大切なので、こちらから積極的にかかわる。ただし、AさんとBさんの仲の悪さには介入しない。AさんとBさんにとっては、そこで人間関係について悩み考えることが、この先、人とかかわる力になる。確かに教師が介入すれば、その場は治まるかもしれないが。
<松井先生>
・こちらから子供をつなげることはしない。
・生活班(4人)を中心とした学級経営をしている。曜日でリーダーを変え、リーダーを中心に4人が動いていく学校生活を送らせている。もちろん、班の中で協力しなければならない場面を設けている。協力し合うことを大切にしていってもらいたい。
・子供たちの人間関係を見ていて、「これはイカン!」ということがあれば介入するが、それ以外は、見守っていることが多い。
<井上先生>
・教師像を「こうあるべき」と高い位置においてしまうと、到底子供に合わせることなどできない。子供に目線を合わせ、子供と一緒になって楽しむことが大切。そのスイッチの切り替えをしている。
・先生は優しい存在でありながら、過保護であってはいけない。手を添え続けても、教師も子供もしんどいだけである。
・台風や大雪などのいわゆる非常事態が好き。「どうにかしないと!」と子供が本当に主体的に動き出した姿を見る経験があった。そういうときに感じたまとまり感や達成感は普段の学校生活では体験できないものがある。
・書く力や聞く力は必要だが、「見る力」も必要なのではないかと最近考えている。子供が子供を見る力、子供が教師を見る力、こういったものが大切なのではないか。
〜おわりに〜
今回の研究会の終わりにこんな話題があった。
「今まで、子供に厳しくしていたが、厳しすぎた。管理しようとしすぎていた」
「トラブルが起きなければOKと考えていたが、トラブルから学ぶことの方が多いと考えるようになった」
「今までが通用しないとき、『ゼロになろう』と思って、教職経験を全て忘れて、もう一度初心にかえって子供と遊ぶところから始めた」
まさに、「教師としての転換点」である。しかし、そこからが醍醐味だという話で終わった。
某NHK番組「プロフェッショナル」を観ていても、どんなプロにも必ず「転換点」が
ある。しかしそこは、挫折や逆境といった何度も経験はしたくないような場所であることが多い。「挫折や逆境を乗り越えてこそ、人は強くなる」という人もいるが、私は、そうは思わずに生きてきた。
なぜなら、「挫折や逆境は乗り越えなければならないものなのか」と思うからである。
乗り越えようと思うと、力が入る。しかし、それは逆効果ではないのか。
私は、挫折や逆境は、自分の考え方を変えるチャンスだと考えている。今までの自分が通用しないのは、チャンスである。自分の考え方さえ変えれば、今までとは違った見方ができるようになる。今までとは違った考え方に気づくことができる。今までとは違った大切なものが見つかるようになる。そして、今までとはひと味違った自分に出会うことができる。
今までのやり方が通用していることに甘んじて、あぐらをかいてしまっている人もいるだろう。しかし、去年と同じあなたに出会った今年の子供たちは、アップデートされてない「おもしろくない」「新しくない」「楽しくない」日常に出会わされてしまっているのかもしれない。
日々刻々と変化する時代、「変化を楽しむように」とメディアも専門家もうるさい昨今だが、子供たちに「おもしろさ」「新しさ」「楽しさ」を毎日一番身近で見せることができるのも、私たち小学校教員のもつ特権だなぁと考えた第50回研究会だった。
文・石垣 孝太
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