雑感 氷見卓也(2021.04.29)
ここ最近のOECDの調査によると、主要国の初等教育における学級児童数の平均は20人前後です。では、日本はというと、チリや韓国などと並び、25人をこえる高い数値を相変わらず示しています。今担任している私の学級は、34人所属です。40人学級は、今までに3回担任しました。
サポーター、無担任の教員等、様々なフォローがいただけるようになったものの、やはり、学級経営は、担任教師の一馬力に委ねられているところが大きいのが現状です。しかし、どんなに力量ある学級担任であったとしても、1人の人間に過ぎず、多くの児童を導くには限界があると思います。
欧州等では、児童10数名の学級が主流となっており、個に応じた指導に力が注がれています。そのような環境ならば、インクルーシブ教育の推進、と言われても納得がいきます。しかし、我々日本の学級では、そもそもの児童数が多いため、インクルーシブ教育が輸入品のように届いても、現状との齟齬が否めないですよね。
では、なぜ、日本の初等教育はこの多人数の学級経営を続けるのでしょう。そこには、人員確保の課題等、経済的な話も当然関わっていると思いますが、そこには集団教育を信じる日本の逃れられない、呪縛のようなものがあるように思うのです。
列を乱すとぶん殴られて、私は学生時代を過ごした昭和の人間です。和を乱すと、はみ出すなと叱られる、そんな印象を強くもち、ひねくれながら青春を過ごした記憶があります。当然、守らねばならないルールはあります。しかし、視点をかえれば、世界をはみ出す芸術、突き抜けた才能、それらをバックアップするギフテッド教育が進む欧州等とは違い、日本はどちらかというと中庸がいいという妙な神話があるように思うのです。確かに、自分が知りうる中庸なイメージを児童に対して抱くと、 安心できます。対処もなんとなくわかりますしね。
我々学級担任は、多くの児童をまとめられないと、能力がないと烙印を押されます。授業中騒がしいのも駄目です。でも、研究授業で明らかに騒がしいのに、「よいつぶやきがいっぱいある」とか言われることもあります。不思議な不思議な世界だなー、とよく思います。
集団ありき、、、そんな古い考えがいまだに横行しています。将来、犯罪行為を起こさないように教育することは大事です。しかし、将来はみ出さないように集団に定住できる力は、この先さして重要ではないように思うのです。それは、安心して見ていられる、見守る大人側の都合でしかないように思うのです。未来の世界が今と同じはずなわけがないのに。
そして、大半の教師は「学校」しか知りません。私も含め、社会をよく知らない無知な集団です。朧げに社会のイメージを伝え、過去に構築した「たぶん、こんな感じ」という昭和・平成のよき学級、よき学校、よき子どもを、現代に無理矢理当てはめ、目指すことが多いように思います。(最先端の研究をし、実践しておられるすごい先生方も当然いらっしゃいます!)
しかし、もはや集団をうまくまとめて自己満足しているようでは駄目だと思うのです。多くの児童がすぐに指示を聞いてくれる、すぐに並んでくれると、「いい子らでしょ」と言う教師がいます。「は?自分の言うことを聞くからいい子?いい子って何?」と呆れるときがあります。これは教師という任についた自己満足や自己顕示の範疇であり、早く言うことを聞く子らは楽だという話でしかありません。究極をとれば、果たして並ばねばならないのか、揃わねばならないのか、というところから議論するのも、おもしろいかもしれません(笑)
教師だけでなく、我々日本人は、「集団」に目を向け過ぎてきたのではないでしょうか。SNS等の普及により、我々の繋がりはよりルーズでワイドになりました。世界中の人と容易く、個人的に繋がることが可能です。よもや学校時代に経験した半強制的にしかれた「集団」は神話の時代の思い出にしかならない。 集団の和を大切にすることを刷り込まれたとしても、現代社会ではあまり有効活用できず、「そんなこともあったね」と思い出話のネタでしかなくなる可能性が高いということです。我々教師が頑張っていることは、未来の思い出話を提供することでしょうか。 今や、自分に合わないと思えば、会社等どんな集団も自己責任のもと脱退できます。
時代を鑑みたとき、我々教師も、人との繋がりを、ただ集団という大きい枠組みで昔ながらに指導するのではなく、人に対する道徳観等、ある一定のルールのもと、ルーズでよいから複数の人と繋がり、時に離れることの大切さを指導していかねばならないと思うのです。それは寂しいよ、とおっしゃる方もいると思います。しかし、確実に新しい時代がきており、我々も変わらなくてはいけない側面があるのは事実です。
私個人としては、数年前に流行った「ワンチーム」という言葉も、昔流行った「ワンフォアオール オールフォアワン」という言葉も大の苦手です。好きな方、ごめんなさい🙇でも、あまりにも個人の自由が許されない、強制力が強い感じがしませんか?違う思いを持っていたら、「みんながこんな風に思っているのに、なんなんだ!おまえは!」と学級担任に叱りつけられそうです。実は、私自身が学生時代に、そう叱られていました(笑)
話を戻します💦
さらには、所属する多くの児童1人1人の「個」がもつ資質を懸命に見つけ、それに驚き、児童自身に伝え、未だ見ぬ将来を共に夢想し、様々な才能をもつ児童同士が科学反応を起こすように仕組み、高まり合っていけるようにすべきではないでしょうか。
これからの日本の教育は、「集団」をとにかくまとめて「個」を滅し、「管理しやすい」といった大人の都合を優先し過ぎず(これも大事ですよ、当然!)「集団」というツールをうまく活用し、「個」の意思決定、その子なりの人との繋がり方の獲得、ひいては自立を促す、ファシリテートしていく、そんなスタンスが重要となっていくのではないでしょうか。
集団枠内にいたら確かに安心です。でも、私達大人自身、日々これでよいのか、迷いながら何かに所属して生きてますよね。
集団、個、当然ながらどちらにも教育を施すことは重要です。しかし、日本は、戦後75年以上経つ今でも、妙な集団教育を信じ過ぎてはいませんか?みなさんは、どう思いますか?
あくまで雑感です。専門家の皆さん、お許しを🙇💦
http://www.kantendokoro.com/entry10.htmlより引用 最終閲覧 令和3年4月29日
0コメント