第66回研究会(2022.09.14)
今回は、リモートで研究会を行いました。テーマは、「教師の諦めと我慢」です。
以下、各会員から出された意見です。
・教室の気になる子につきっきりになっている。他にも見てあげたい子が何人かいるが、正直手が足りない。
・学習でつまずきが見られる子へは、机間指導で個別に教え、自力で問題を解かせて何とか学習内容はカバーできている。
・周りと同じ行動ができない子へは、教師が声かけをしている。理想は、子供同士が声をかけ合っていってくれることだが、まだそこまでには至っていない。
・学習に対して、学校生活に対してやる気のなさが顕著な子への対応に困っている。その子1人にとても時間をかけていくことは、周りの子へは全く目が行き届かなくなることにもなるので、日々迷いながら接している。
・子供たちが頑張ること自体が難しくなってきているように感じる。「がんばろう」だけでは、なかなかがんばれない子が多くなってきている(顕著な拒否反応は、不登校)。
・新型コロナの影響もあるだろうが、子供同士の「かかわり」が下手になってきている。そのため、授業にもその人間関係が影響し、学び合うことが難しくなっている。
・教師にも限界はある。が、放課後勉強会をしたり、学校生活での思いを言える時間を設けたりすることで、子供の居場所はつくってあげたいという思いでやっている。
話合いの中心は、子供の居場所についてであった。
・友達がいない子でも、担任はその子のことを認めてあげることで、その子の居場所ができる。また、「認められた」経験が、その後の人生にも何かしらプラスの影響があるのではないか。
・自分は認められてこなかった経験がある。そのため、反骨心で、「子供にそんな経験をさせたくない」という思いで目の前の子供たちと接している。
・友達同士の輪に入れない子にとって、係活動という手立ては、関わり合いを生む有効なものであるかもしれない。主張があり、一方で協調性も求められるため。
・今までの子供たちに「もっとこうしてあげればよかった」と反省することはよくある。しかし、その子にしかないライフヒストリーを描き、伝えることはしてきた。それがいつしか、心に残り、その子の轍となっている。
・学校は、とても温かい場所である。一方、社会はとても冷たい。子供にとって、学校が居場所となるように先生が努力している国は日本が世界一だという話もある。もっと、先生方は自信をもってもよいのではないか。「子供のために」を考えていることに自負していくことも必要。
おわりに
「諦め」と聞くと、「いやちょっと待てよ」と思う。それに、「我慢」と聞くと、「じゃあ、自分は楽しくないのか」と思う。しかし、私1人の力なんて小さく、これまで子どもたちに何をしてあげられたのか、反省ばかりが浮かぶ。
自分が大切にしていることも、「本当に子供のためになっているのか」と常に問う必要があるし、でなければただの独りよがりになってしまう怖さもある。
もちろん、諦めたくない自分もいるし、我慢している自分もいる。そのことは認めざるを得ない。だけど、今回の研究会で思ったことは、私が一番見たくないのは「自分に諦めた」子供の姿であるということだ。
きっと私の根底には、「どんな状況であっても、決して諦めずに生きていってほしい」という子供への思いがあるのだろう。そのことに気付くことができた研究会であった。
そして、時にはこんな苦しみを共有できる仲間と話し合える時間が、とてもありがたいと思えた。
自分に自信はないけれど、だからこそ、子供たちには私なんかよりは自信をもった人であってほしいと願う。願いを押し付けてしまっていることは申し訳ないが、こんな私を受け入れてくれている、今担任している子供たち。受け入れてくれた今まで担任してきた子供たちに、感謝しかない。
文責 石垣孝太
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