雑感 氷見卓也 (2022.03.20)
写真の女の子は、ウクライナでロシア軍の砲撃を受け、左腕を失ったサーシャさん(9歳)の姿である。
先週、ウクライナのキエフ郊外で、サーシャさんは、ロシア軍の攻撃を逃れるために家族と避難中、乗っていた車が砲撃を受けた。
同乗していた父親は死亡。母親と妹、サーシャさんは助かったので車から降りて路上を走った。だが、サーシャさんは左腕を撃たれてしまう。
ビルの地下に逃れたが、2日間も意識を失ったままだった。その後、ボランティアが彼女を担架に乗せて近くの病院に運んだが、担当した医師は左腕がすでに壊疽(えそ)を起こしていることから、上腕部から切断。サーシャさんは英メディアに語っている。
「ロシア人は私を傷つけるつもりはなかったのかもしれない。なぜ撃たれたのか、分かりません。これは事故だと思うようにしています」
しかも、9歳でありながら涙もみせず、「泣くのは弱い人間だけ。私は泣きません。命を救ってくれてありがとう」と看護師に述べた。今は花で彩られた義手を装着する希望を持っているという。
サーシャさんの写真を見てわかる通り、目にはしっかりと光が宿っている。私は、この記事を目にし、なんだか大人として情け無い気持ちでいっぱいになった。他国の、しかも政治家でもない私が何を語っても力無いのはわかっている。そして、日本の教育に携わる仕事に就いている以上、政治、ましてや戦争については多くのことを語るべきではないのだろう。雑感には戦争ネタは書くまい、としていたが、サーシャさんのこちらを見つめる目に、掟を破ることになった。
戦争は、ほぼ一部の人間の思いがきっかけであり、ほぼ一部の人間の決定によってはじまる。その結果、多くの人間が巻き込まれ、命を、そして心を失う。我々人類はこれを繰り返し、生き残った者で今を作り上げてきた。馬鹿げた行為の繰り返し、想像力の欠如と横暴が相変わらず誰かに不幸をもたらす。
私自身、戦国時代を描いた漫画や小説等を好んで読むが、それはあくまでエンターテイメント兼過去の過ちから学ぶ教科書だ。それをいまだに本域でやる感覚は天地がひっくり返っても、どうしても理解できない。
人間が死ぬ、人間が暴力により傷つくということは、よりよい未来を作り上げる上でも、大きな大きな損失だ。いかなる政治的意義があろうと、暴力を持ち出すことをよしとすることはあってはならない。我々は脅威が身近に迫って初めて気付くのではなく、想像力を最大限生かし、互いの命を尊重して生きねばならない。
私はいざ自分に脅威がふりかかったとき、サーシャさんのような真っ直ぐな目をできるだろうか。サーシャさんのコメントを見ても、彼女は戦争を起こす馬鹿な大人に勝る崇高な魂をもっているとしか思えない。
私は無力な人間だが、一応教育者である。せめて、崇高な魂を胸に抱き素晴らしい未来を創り上げていく、そんな子どもたちを、そんな人間を育てることに尽力していきたい。サーシャさんが見据える未来を、少しでも素敵なものにしていくためにも、自分ができることを頑張っていくしかない、と力無き自分が小さく決意する。
最終閲覧 令和4年3月20日
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec48a4b519b60fc7d5a7c8ff6fd6d0d7db7b5d68
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