第48回研究会(2021.08.11)

 今回の研究会では、前回皆で共有した教師としての日頃の悩みの中から、教師としての『ポリシー』や学級経営を行う上で大切にしていることを切り口として話し合った。以下は、それぞれの先生方が教師として大切にしていることについてである。


井上先生:『人情を大切にする』

・子供との関りや喧嘩の仲裁等、子供と関わる際には表面的なことだけではなく、子供の思いに寄り添うように心掛けている。


村田先生:『子供の価値観をひっくり返す』

・子供たちには固定化した人間関係に固執してほしくない。「自分はこうだから」という価値観をひっくり返すことができるようにしている。


氷見先生:『粋な人(子供)を育てたい』

・粋な言動ができる人を育てたい。そんな人たちが繋がり合っていけば、学級をまとめようとする必要がなくなる。そのため、集団をまとめることは重視していない。

      『プライドをもたない』

・学級経営の手法や教育観等、経験を積むほど、価値観が固定化されることが多い。しかし、子供たちを取り巻く環境の変化や世の中の動向に柔軟に対応するためには、経験から積み上げられた自分の教育観にあまり固執せず、新たな環境に柔軟に対応できるように自分の積み上げてきたものをいついかなる時も崩すことができる自分でありたい。


宮腰先生:『頭ごなしに子供を叱らない』

・理性的に子供に向き合い、子供の意見を受け止めようとする姿勢をもつようにしている。    


松井先生:『子供も自分も楽しい教室に』

・教師が笑顔でいられるようにしていたら、自然と子供も笑顔になれる教室になると思う。誰かを置き去りにするような教室にはしたくない。


亀ヶ谷先生:『目の前の子供に、一人の人間として、本気で向き合う』

・教師と児童という関係性だけで関わるのではなく、一人の人間として子供と関わるようにしている。だからこそ、子供を力いっぱい褒めたり、目の前で泣いたりすることもある。お互いに「人と人」として子供と向き合うようにしている。


荒木先生:『子供を頭ごなしに否定しない』

・失敗しても良いから、子供が挑戦したいことがあれば、させてみる。子供が消極的になるような否定的な言葉かけはしないように心掛けている。


近藤先生:『子供と一緒になってやってみる』

・一緒に掃除をしたり、全力で遊んだりと子供と真剣に関わることを大切にしている。


石垣先生:『どんな子供も認める』

・自分が担任した子供は、どんな子供でも必ず一つは「あなたのここが好き」ということを伝える。自分が挫折した経験も含め、子供たちには誰かに認めてもらえているということを実感してほしい。


 それぞれの教師としての『ポリシー』について聞き合う中で、氷見先生の『粋な人(子供)を育てる』という話に注目が集まった。 


『粋な人(子供)』とは?


 小さい子供はよく「先生、〇〇しておいたよ」と担任教師に言ってくることがあり、これらは、教師からの「ありがとう」という言葉を求める、つまり承認欲求を満たしたい行動の場合がある。しかし、『粋な人(子供)』は誰かに褒められるからという理由ではなく、行動できる子供であり、そのような子供が学級の中に増えることで、教師が子供たちをまとめようとしなくとも、子供たちが互いに繋がり合い、集団としてまとまりが生まれてくるのではないだろうか。

   そのような『粋な人(子供)を育てる』ためには、私たちは『粋な教師』になる必要がある。そのきっかけとして、教師自身が「サブカルチャー」に興味をもつことが挙げられた。

   子供たちは漫画やアニメ、音楽、服装等、様々なカルチャーに日々触れている。その中で、大多数の人が好む物(本流の物)ではなく、個別に子供たちが興味・関心をもっている物(サブカルチャー)を教師が知り、それらを教師と子供との関りの中での共通言語としてもつことにより、子供たちに対するより深い理解や関係づくりを行えるのではないだろうか。教師が「知っているよ。あの漫画のあの場面だよね。先生も好きだよ」「あの番組で、いつもちょっとだけ出てくるお笑い芸人、おもしろいよね」といったことを子供個々に投げかけることにより、子供は「先生、そこに目をつけるなんてなかなかやるな」「先生、あんなマニアックなのが好きなんだ。意外だな。また、話したい」といった展開が期待できる。つまり、まずは、子供たち個々が、教師を教師としてでなく、1人の興味が湧く人間として認めることが、強い信頼関係の構築に繋がるのではないか、ということである。さらに、ここで言う子供の「先生、なかなかやるな」という思いは、「先生、なかなか粋な人だな」という心情にも繋がっていくのではないだろうか。粋な人にいろいろな捉えはあると思うが、ここでは、本流ではない、どこかサブカルチャーの要素を孕み、すてきなお手本としての「ザ・先生」ではないとしておきたい。子供はもはや「ザ・先生」というモデルにはついていこうとしない可能性がある。また、子供は、自分だけの先生との繋がりを獲得すると、自分の感性を分かってくれている人と、教師を認識し、その結果、指導が入るようになる。また、そんな先生の振る舞いをモデルにして成長していくのではないだろうか。「ザ・先生」は、子供には粋な人とはうつらない、そんな時代なのかもしれない。

   また、教師は子供たちが関心のあるサブカルチャーを理解し、同じ土俵で語り合うとともに、時には状況に応じて他の子供たちを意図的に結び付けることで、子供同士の関係を構築していくこともできる。例えば、歴史が好きな子供から質問を受けた場合、教師が全て答えて対応するのではなく、「このことは、〇〇さんが詳しいから、聞いておいで」というように、意図的に子供同士を結び付けていく。このような行動を意図的・計画的に行うことで、子供たちの間に見えないクモの糸のような繋がりが生まれ、その子たちだけの、言い換えればサブカルチャーのようなもの通して、学級の子供たちが結び付いていくイメージである。そして、クモの巣のように関係性が広がっていき、教師自身も、そのクモの巣の中に入り、時には糸を太くしたり、組み替えたりして学級内における子供たちの人間関係を構築していくわけである。


最後に、今回の会に参加して、私が感じたことを記します。

 学級担任として「大切にしていることやポリシーは?」と改めて問われると中々、「これだ!」と明言することが難しいと感じました。私たちは普段、子供たちを前に様々なメッセージを送ったり、思いを共有したりしています。しかし、それは時に、言語化することが難しく、その内容も多岐にわたる場合があります。自分は、多くの先生方の学級に入る度に、目に見えないその先生の「におい」を感じることがあります。それは、その先生が醸し出す、雰囲気だったり、安心感だったりします。それは、その先生の人間性やこれまでの経験、生き方からくるものかもしれません。そして、それらは、一言で表すにはあまりにも情報量が多く複雑なのかもしれません。先生によって、その「におい」が異なることこそ、学級経営の違いが生まれ、「〇〇先生らしさ」に繋がるのだと思います。今回、サブカルチャーについての話題が出ましたが、本流だけでなく、これらのサブな物にも教師が関心をもち、触れ合うことが、一人の人間としての幹を太くすることに繋がるのだと思います。私も『粋な人(子供)』を育てることができるように『粋な大人・粋な教師』を目指したいと思います。

                                 井上 真孝

実ある教育を語る会

富山県小学校教諭の有志による実践研究会です。日々の実践を基に研究を深めます。 〜真贋を見極める目を!真実を追い求める目を!未来を作る芽を見つける目を!〜 第3章スタート! 引用参考 http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/colored/info/kyoto.htm