雑感 氷見卓也(2021.01.12)
「一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である」
これは、2024年に10000円札として登場する渋沢栄一氏の言葉です。渋沢栄一氏は、江戸時代、豪農家に生を受け、武士に転じ、徳川慶喜に仕える幕臣となりました。明治時代になると、徳川慶喜から「これからは自分の道を行きなさい」という言葉を拝受し、会社を設立します。しかし、大隈重信に説得され官僚となり、後に実業家、教育者として、日本の発展に大きく貢献しました。
彼が言う天命とは何だったのでしょうか。そして、自身の天命を何と捉えていたのでしょうか。社会貢献でしょうか?
渋沢栄一氏の成し得たことの凄さ、その数、肩書きの多さを考えると、これと絞り込むことはなかなかできません。時代の潮流の中、その一瞬一瞬を、「わたしの天命だ」と果たして考えながら生きていたのか、私は疑問に思うのです。もしかすると、任されたことや「やってみたい」と思ったことをとにかく楽しみながら進んでいったら、「天命かも、これ」みたいな感じだったのではないかなと。(素人の戯言です。ごめんなさい、歴史学者のみなさん)
きっと大河ドラマでは、俳優吉沢亮さんが、志をもち、「これが我の天命なり!」みたいに熱く描かれるのでしょうけれど、、。
「これはわたしの天命だ」とか「これはわたしの天職だ」というのはうまくいった場合に後付けされて語られる場合がほとんどですよね。
もちろん、上記のような名言は、凄い実績を残した渋沢栄一氏だから出てくるものであり、現代を生きる私たちの心にも強く響きます。ただ、そんな渋沢栄一氏であっても、晩年、「天命であった」と感じたかもしれませんが、走り続けた若き日は、ただただ楽しかったのではないかと思うのです。きっと功績の裏には、本人にしか分からない苦しみ、悲しみも多々あったはず。ただ、彼はそれを飲み込んで楽しむ力が強かったのではないかと思うのです。
みなさん、楽しんでいますか?自身が今血潮をかけて取り組んでいることが晩年に「天命であった!」と言えそうでしょうか?そんなの分からないですよね。ただがむしゃらに突き進むしかないですよね。時には楽しくなくて、「やってられっか!」と愚痴りたいですよね。泣いたり笑ったり怒ったりして、最後、死に際に堂々と言ってやりましょう!
「あー、楽しかった!わたしは天命を成した!」と。
今回も支離滅裂💦雑感なのでご容赦を🙇
ちなみに、渋沢栄一氏を大尊敬しているので、大河ドラマも見ます(^-^)v
引用参考
https://kakakumag.com/money/?id=14508
最終閲覧 令和3年 1月12日
0コメント